グッチです。グッチというのは、私のヨガ講師名です。よくあるパッチもんのグッチではないよ^_^             これからは、ぐっちと呼んでください。

僕の名刺、兼、本のしおり、写真ボケまくり。。

ということで、ヨガやウクレレの話じゃなくて、私個人の話が続き、興味のない方には退屈させてしまいますが、今日は、読者を退屈させない興味深い話をしようと思います。個人の体験談であり、独り言なので他言無用、画像転載禁止でお願いします。

今日は長くなるかもしれません!

読み疲れたら遠慮なくページを移動してください。

さて、西洋医学的治療である悪い所を切り取るということ。

 肝臓や胃も含め、癌の摘出手術と称して悪いとされる腫瘍部分を切り取ったりすることは、治療なのか?

それとも、

切りとった後の自然治癒に任せた一か八かの破壊なのか?

どう思います?

ま、いくつかのデータがあるからこそ、そうされるのでしょうが、私本人は、別に異常など感じていない場合は、わざわざ痛い思いしてやる必要は、無いんじゃない?と感じていました。でも、やる価値のある何かがあるのを知っていたので今回3回目の脳の頭蓋内腫瘍摘出術を受けたのです。それについて振り返ってお話したいと思います。

痛い痛い痛みに耐えて頑張った自分へのご褒美で回復のために何処で過ごしてもいいよ。好きな所でリハビリしていいよ。と、宇宙からご褒美が出たとしたら、僕は、昔からこうすると決めている。

好きな女の子と”超豪華、超巨大五つ星リゾートホテル”で柑橘系のカクテルとミルク系のカクテルを交互に飲みながらリハビリします!と希望を提出します。もちろん、ウクレレ持参で。何なら、そこで、ヨガとウクレレの無料レッスンやってもいいよ。

と、これは夢にまで見たシーンです。

僕の知ってる限りでは、今のところ地球には5つ星ホテルはあっても超巨大五つ星リゾートホテルは、まだ無いんじゃないかと思う。じゃあ、何処かの惑星に行ったらあるのか!?なんて思ったりするのが凄く楽しいし好きです。

私は、グッチインディオ全体論的ヨガクロニック研究所の所長であり、一応ヨガの研究者として、手術を受けることには、脳のオデキを採ってもらうこと意外に別の意味での目的がありました。金目当てじゃないですよ。。

頭の中のイボ取りだけが目的なら、わざわざ痛い思いしてやる必要もないし、頭にオデキがあって、命に関わるなどと言われても生活に困っていないし。オデキを消したいだけなら、イボ取り地蔵のとこにお参りにでも行けばよくないですか?とはいえ、とはいえ、イボ取り地蔵が何処にいるのか知りませんが。。

別の目的。

それは、『死』です。     は?

本格的にヨガを研究する者にとって死とは、とても重要なテーマなのです。身体を柔らかくするのか、スタイルをよくする。などは、ヨガを勉強する中で途中で得られる産物であり、本当の目的ではない!のです。 よ。ま、別に人が何の目的で勉強しようが、私とっては、個人の自由ですが。。

意外と普段から真面目にことを考えてるんですよ。

今、生きてる間に死=死後は体験できませんが、今回のように全身麻酔を受けてから3時間したら目覚めて、再び全身麻酔に戻っていく。この3時間3時間6時間の行程の中で実際には死んでは無いけど、シュミレーションとして「死後=体から抜け出した状態の自分体験」を見てこれるんではないか?

前回も意識が体から行ったり来たりする感じをはっきりと覚えていたし、この体験をハッキリと見てくるというのが、もう一つの目的でした。やった後、めちゃ痛いから本当はイヤだけど。

私が専門のインド哲学では、死後の世界や輪廻転生という生まれ変わりなどについて、インドでは、インダス文明以前から当たり前化されており、これを知ってしまったら、この先、人生で学ぶべき事、知るべき事は、もう無いですよ。

というのが、ヒンドゥ教、ヨガ哲学の「神の教え、神の詩」バァガバッドギーターは、サンスクリットから紆余曲折して日本訳となり、現代書物になっている。文字数は、かなり少ないが、内容が、人の内面、輪廻転生についての話のため、受け入れる気持ちで読まないとめちゃ難しい。だから、私のように”そういうもんなんだ”と思って読むのが、いいと思う。

インドでは、「輪廻転生の真実の理解」についての知識は、ジュニャーナヨーガ=奥義とされていて、その奥義は7000年ぐらい前からあるとされています。とにかく古いね。

いやいや、生きてる間に学ぶべきこと??

愛があるじゃないか?

と、言って2000年ぐらい前に木に釘付けにされて死亡した男もいる。

とか、そんな話じゃなくて、、、

幽体離脱の話はここからが本番

そして、手術が始まって3時間ぐらい経ったころ、頭蓋骨も開かれたころ、私は横になったまま意識を戻し、目を覚ます。手術を受けながら医師と話をする不思議な時間がはじまる。なんせ頭の中をほじくられてるのに痛くないのだから。

頭蓋骨を開いて目を覚ました後は、言われた通りに手や指を動かす。文字を読む。眠ってしまわないように、周りの医師たちに、大声で「山口さーん!」と声をかけられ、肩や腕をペチペチ叩かれながら、なんとか眠らないよう意識を保つ。前の時も、今回も!この寝落ちしそうなこの時です!

来たな〜この時だ!という瞬間がやってきたのを感じる。

そして、幽体離脱が始まる。

あくまで、私の体感の場合ですが、幽体離脱は、ふんわり抜け出していくものではなく、瞬間移動のようなものです。例えば、名古屋から3秒後に東京に移動しているという事も可能なのではないか。?とも思ったりする。亡くなった人が枕元に立つというあれは、間違いなく瞬間移動で、枕元まで来ている。ある意味、あれは移動ではなくて、そこにいる。というのが、正確な表現だと思う。

私の記憶によると、気づいた時には、左足のモニターの上に位置していて、巨大なシャンプーハットのような物をかぶって医師とのやり取りをしている自分を見下ろしていた。

「あれ?オレ、ここにいるのに、アイツ先生と喋ってるよ。」

と、それはそれは、何ともいえん不思議な気持ちになりましたねぇ。

手術用の浴衣みたいな服がはだけていて、自分の左の乳首までしっかり見えていました。しかも、脳内をほじくられている私は、目を開けて医師と話をしているではないか!!

こっちの自分も見ているし、、、、向こうの自分も喋ってる。誰が自分を動かしているのか。その時は、不思議にも思わなかったのに、今になって思う、コレは不思議だ。

手術を受けて医師と話している自分を浮き上がった場所から見ている自分。と、この時、自分は、2人いるような感じとなる。

そして、幽体離脱の記憶の極めつけは、     ここから始まった。

その後、

壁も天井も全てが空の約6畳ほどの大きさの空の部屋でふかふかソファに深々と腰を下ろし、辺りをぼんやり見ている。視力がいつもよりかなり低い。  しばらくすると、部屋の右下の方から、巨大なひつまぶしが。そして左下から、巨大な生ビールが浮かび上がってきた。そして、いい感じに2つが重なった!

それは、青空を背景にしたひつまぶしと生ビールの大きなポスターをマジマジと見てました。としか言いようが無いほど、今回の幽体離脱も期待させといて、、

それ、ただの夢じゃん!

という結果に終わりました。別にうなぎ好きじゃないのに。

これこそ

( ̄▽ ̄)/そら、みたことか

夢の中で神様が出てきて、重要な話をしたとかではなくて、アンタそれ、ただの夢見とったんだって。とも今になって思えてくる。

結局、ズッコケの夢( ̄▽ ̄)そらみたことかというお話になってしまいました。

術中の記憶からすると             幽体離脱の時間は約2時間ぐらい。

そして、再び全身麻酔に戻っていく。頭蓋骨を閉じて、手術は終わり。という12時間。

12時間といえども、流石現代医学、       流石全身麻酔!

始まったと思ったら、終わった。

それが人生なのかもしれないね。

長々と読んで頂きありがとうございました。

僕は、全然元気です。

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